|
|
|
|
|
|
|
|
|
前田利家は尾張国愛知郡荒子(名古屋市中川区)で、前田利春の四男として生まれました。
立身出世を夢見て織田信長に仕え、天正9年(1581年)能登一国を領する大名となります。
本能寺の変で信長が死去した後、豊臣秀吉より能登に加え河北・石川の2郡を加領され、七尾から尾山城(金沢城)に居城を移します。
豊臣家の宿老として秀吉を補佐し、秀吉の愛息・秀頼の後見を託されますが、慶長4年(1599年)閏3月3日、62歳でこの世を去りました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
天正12年、越中より侵攻した佐々成政との戦いの地。
能登と加賀を結ぶ重要な砦を死守したこの戦いは、後に加賀百万石を築く布石となりました。現在は本丸跡などが残るのみとなっています。 |
|
|
|
|
|
|
|
泰澄大師の開いた真言宗の山岳霊場。
最盛期には360余りの宿坊と3,000人以上の衆徒を擁していましたが、前田家により一堂も残らず焼き払われます。
その後、前田家の支配下において再興されました。 |
|
|
|
|
|
|
|
難攻不落の名城」と謳われた、能登の守護・畠山氏の居城。
畠山氏が滅ぼされ、後に織田信長より前田利家に与えられました。七つの尾根が連なるこの城は、七尾の地名の由来とされています。 |
|
|
|
|
|
|
|
前田利家は、堅牢ではあるが不便な七尾城を捨て、港に近く流通に便利な小丸山に城を築きました。
現在、七尾を一望できる小丸山城は城址公園となり、春には桜の名所として市民の憩いの場となっています。 |
|
|
|
|
|
|
|
防御用の陣地に転用するため、真宗を除く各宗派の29寺院を集めて造られました。中でも長齢寺は利家が能登で建造した唯一の寺で、利家の両親が分骨埋葬されています。
現在は16の寺院が残るのみですが、各寺を巡る散策路として整備されています。 |
|
|
|
|
|
|
|
大伴家持により万葉集にも詠まれる能登の国一ノ宮。
歴代の前田家藩主からも厚く崇敬され、鵜の飛び立つ方角で占う「鵜祭り」を、利家は殊のほか重んじていたそうです。
縁結びの神社としても有名。 |
|
|
|
|
|
|
|
前田家三代藩主・利常の生母である、寿福院の菩提寺。
北陸唯一の木造五重塔があり、一基九棟が重要文化財に指定されています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
富山県との県境にあり能登半島や立山連峰を一望できます。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|